2018年3月9日金曜日

「真理のことば」における存在の分類 ver.1(作業順序の予定)

 (「真理のことば」における存在の分類 (作業順序の予定)に改訂を加えました。)

「真理のことば」の“第5章 愚かな人”を考え終えたところで、残りのところを見渡しました。そして読誦時代から不明瞭に感じていた点を思い出しましたので、これを機に整理して行こうと思います。
 “第5章 愚かな人”では、人間を含めた多種多様な存在の中で、愚かな人と命名される種類の存在についての特徴を記述している章です。他にも、同様な章が6章があります(下記の参照)。不明瞭であった点とは、各種類の存在の共通点や相違点が読誦しているだけでは、漠然としていてはっきりしないということなのです。例えば、“修行僧”や“道を実践する人”や“出家者”、そして“バラモン”などなど、どの様な線引きで分類されているのか、ちょっと分かりにくいのです。

 どうも不明瞭になってしまう最大の原因は、章が離れているからだと思っています。“第5章 愚かな人”の見直しを終えたのを機会に、
“第5章 愚かな人”
“第6章 賢い人”
“第7章 真人”
“第14章 ブッダ”
“第19章 道を実践する人”
“第25章 修行僧”
“第26章 バラモン”
という順番で見直し作業を進めます。この見直し作業とは、各章の各詩から必要なものや不要なものを考察するということです。

 私は、
①本質的な魂の分類
②立場の分類(役職的立場とただの立場)
が混在しているという立場で、それぞれの言葉を下記の4点を論点として仕分けし、図の様に整理しました。 

(1)“愚かな人”、“賢い人”、“真人”は魂の発達段階の分類とします。“真人”には、“賢い人”という相は含まれています。
 また、“賢い人”は、“愚かな人”を概ね理解しますが、“真人”の全ては理解できません。しかし、“真人”は“愚かな人”と“賢い人”を完全に理解します。

(2)仏典によれば、真人とブッダは同類と考える向きがありますが、私は“真人”は、修行完成者で非超人的な存在、“ブッダ”は魂としては“真人”と同類ですが、超人的な存在として考えます。

(3)仏教が起こった頃は、インドでは「“賢い人”=“ブッダ”としていた」と言いますが、これについても、私は“ブッダ”に“賢い人”の相は含まれますが、同等とはせず、
“ブッダ”>“賢い人”とします。
 
(4)“修行僧”、“バラモン”は、私は役職的な立場の名称と理解します。そして、“道を実践する人”や“出家者”は、ただの在家か出家者かという立場の名称と理解します。